初めての方へ

 江戸に入府した徳川家康は関ヶ原の戦いの翌年慶長6年(1601)から街道の整備を開始した。日本橋を基点とする五街道のほか、脇街道(脇往還)と呼ばれる街道が整備されていった。
 五街道には宿場をつくり、一里塚を設けた。享保元年(1716)には五街道の公式な呼称が定められた。甲州道中はその五街道の一つで、甲州街道とも通称された。
 街道は時代の変遷とともに変化を重ねた。水害による被災はとくに大きく、しばしば街道のルート変更を迫られた。道路の直線化や拡幅により変化もした。今、むかしの街道のルートをたどれない区間も少なくない。
 私たちは甲州道中の歴史の道をたどってみたいと考えた。
 おもな参考資料は「甲州道中分間延絵図」「甲州道中宿村大概帳」および「歴史の道調査報告書」(注)、「今昔三道中独案内」(今井金吾著)である。また街道を踏査して昔をさがすことを試みた。
 その結果を最近の地図(国土地理院地図、2018年)に書き込んだ。
 
(注)「歴史の道調査報告書第五集甲州道中」(東京都教育委員会、1998)、「山梨県歴史の道調査報告書第4集甲州街道」(山梨県教育委員会、1985)、「歴史の道調査報告書U−甲州道中−」(長野県教育委員会、1980)

地図使い方

凡例

(付記1)有力なルートでも道路の拡幅や直線化により元々のルートからの変化はあります。

(付記2)多くの方が道中を歩き、写真をWeb上に公開しています。これらを参考にして下さい。